看護学生を見守る皆さまへ
看護系の学校で学ぶことは、決して容易なものではありません。
健康な若者が、病気や老いといった、ご本人が望んでいるわけではない「つらさ」を抱えた患者さんを理解し、向き合い、看護を提供できるようになるまでには、多くの学びと経験、そして葛藤があります。
親御さんも、「いい看護師になってほしい」「立派に自立してほしい」と願われる一方で、「自分自身のことも大切にしてほしい」「無理をし過ぎないでほしい」という思いを抱えながら、お子さんを見守っておられるのではないでしょうか。
私自身の体験
かく言う私も、母が看護師でした。忙しく働く姿を見ながら、少しの寂しさと大きな尊敬の気持ちを抱いて育ちました。
そして、今では大学教員として学生を支援する立場になりましたが、学生時代の私は決して優等生ではありませんでした。
「頑張らなければいけないことは分かっている。でも、何を頑張ればよいのか分からない。」
「何から手をつけたらよいのか分からない。」
そんな焦りばかりが大きく、周囲の方々に支えていただきながら、何とか卒業することができました。
だからこそ、「看護学生の焦りや不安に寄り添ってくれる存在がいたらいいのに」という思いは、今でも私の原点になっています。
大学教員として感じていたこと
大学教員になってからは、当時の自分と重なる学生さんに何人も出会いました。
「なんでも相談してね」と伝えていても、
「こんなことを相談するのは恥ずかしい。」
「忙しい先生の時間を取るのは申し訳ない。」
そう考えて、一人で抱え込んでしまう学生さんは少なくありませんでした。
私にとって、学生さんの話を聴くことは教員としての大切な役割であり、何よりの役得でした。
一方で、困りごとや悩みが深くなってから相談を受け、「もっと早く声を掛けられたのではないか」と後悔したことも、一度や二度ではありません。
だからこそ私は、「困ってから相談する」のではなく、「困る前からつながっていられる存在」が必要なのではないかと考えるようになりました。
親だからこその葛藤がある
親御さんも、
「頑張ってほしい。でも、頑張り過ぎてほしくはない。」
「学生生活を楽しんでほしい。でも、今しかできない学びにも真剣に向き合ってほしい。」
そんな思いで、お子さんの成長を見守っておられるのではないでしょうか。
子どもの成長を信じたい気持ちと、つい手を差し伸べたくなる気持ち。その間で揺れることは、ごく自然なことだと思います。
私が大切にしている「子育ての四訓」
乳児はしっかり肌を離すな。
幼児は肌を離せ、手を離すな。
少年は手を離せ、目を離すな。
青年は目を離せ、心を離すな。
この言葉には明確な出典はありません。教育や子育ての現場で語り継がれてきた教訓であり、多くの親や教育者が経験を通して共感してきた言葉なのだと思います。
私は、この言葉は子育てだけでなく、教育にも通じる考え方だと受け止めています。
「学び-accompagnement」が目指す支援
私が目指しているのは、答えを教えることではありません。
レポートを代筆したり、課題を代わりに終わらせたりすることは、その学生さんが成長する機会を奪ってしまいます。
最初は一緒に考え、一緒に悩みます。しかし、いつまでも手を引いて歩くことはしません。
少しずつ自分の力で考え、学び、判断し、やがて支援がなくても歩いていけるようになること。
私の役割は、「答えを与える先生」ではなく、「自立するまで伴走する支援者」です。
保護者の皆さまと一緒に支える
学生さんを支えるのは、学生さんだけではありません。
親御さんには、親御さんだからこそできる支え方があります。そして、私には第三者だからこそできる支え方があります。
必要に応じて、学生さんのご様子や学習状況を保護者の方へお伝えすることも可能です。
顔を見るたびに、
「勉強は大丈夫?」
「ちゃんとやっているの?」
と尋ね続けなくても大丈夫です。
少し距離を置きながらも、必要な情報はきちんと共有する。それも第三者だからこそできる支援の一つだと考えています。
「便りがある」のも、良いことだと思っています
看護師として働き始めたからといって、親としての心配がなくなるわけではありません。
「便りがないのは良い便り」という言葉があります。
もちろん、その通りだと思います。
でも私は、「便りがあるのも、また良いこと」ではないかと考えています。
学生さんが安心して学び、ご家族も安心して見守ることができる。
私は、学生さんを管理する人ではなく、その成長を一緒に喜ぶ伴走者でありたいと思っています。
そして、親御さんにとっても、「一人で心配を抱え込まなくていい」と思っていただける存在になれたら、とても嬉しく思います。



