私の偏った考えに基づくコラムです。
「あなたは研究の何たるかが分かっていない!」と思われる方もいるかもしれませんが、学会などで多くの看護研究に様々な学びと刺激を頂いている者の一つの考えです。
これまで看護研究のサポートに当たる中で、「看護研究が楽しい」と仰って下さる方もたくさんいましたが、「看護研究は辛い」という言葉を聞く機会も少なくありませんでした。ここでは「看護研究」について少し考えてみたいと思います。
日本看護協会 看護職の倫理綱領11には「看護職は、研究や実践を通して、専門的知識・技術の創造と開発に努め、看護学の発展に寄与する。看護職は、常に、科学的知見並びに指針などを用いて看護を実践するとともに、新たな専門的知識・技術の開発に最善を尽くす。開発された専門的知識・技術は蓄積され、将来のより質の高い看護の提供に貢献する。すなわち、看護職は、研究や実践に基づき、看護の中核となる専門的知識・技術の創造と開発、看護政策の立案に努めることで看護学の発展及び人々の健康と福祉に寄与する責任を担っている。」とあります。
看護研究は専門的な知識・技術の創造と開発、看護学の発展のために「看護師にとって必要なこと」と位置付けられています。
この「看護師にとって」の“研究”の位置づけがポイントの一つ。
看護師として働いて給与を得る。労働の対価は当たり前ですが、とても大切です。個人の研鑽のために「研究をしたい」と思われる方が取り組まれることは素晴らしいことだと思います。その反面、本人がやりたいわけではない研究を“やらなきゃいけなくなる”ということもあるように思います。病院の中で看護の質の向上を目的に、中堅のスタッフに白羽の矢が立つこともあります。場合によっては2年目の方・3年目の方に「看護研究してみない?」とお声がかかることも。「研究をすることが義務」となると、心に少し負荷がかかってきます。研究は、自分なりに文献を調べて考えたり、日ごろの看護を振り返ったりする貴重な機会ですし、看護師養成機関(大学や専門学校など)でも“研究の大切さ”は繰り返し伝えられます。だからこそ、「嫌だと言ってはいけない」という雰囲気があることが多いのではないでしょうか。
「研究に取り組んで、学会発表までやったら満足感や達成感が得られた」という声を聴くことが多くあります。でも、お行儀やお作法に則って研究に取り組むためのエネルギーは少なくありません。
研究をしたいと思っている人が研究に取り組めているか。逆に言えば、研究に取り組む人が、自分自身のためになることと実感を持って言えているか、が大きなポイントだと思います。
研究なのか、看護研究なのか
「看護研究」という名称のなかには「看護師がやる研究」「看護に関する研究」といった複数の意味合いがあります。そして「学会発表できる研究=看護研究」と考える方もいるように思います。
その中で「研究をすること」が目的になってしまっていないか?という疑問があります。
「○年目は研究しなくてはいけない」「学会発表しなくてはいけない」といった外部からの動機づけ目標付けが強くなると、本来の意味から外れてしまうこともあるように思うのです。
研究は発表できるものでなくてはいけないのか。
研究に取り組むことで「自分が知らなかった知識を得ることができた」というのは素晴らしいことです。また、日々の臨床で感じていた疑問を解消できたり業務の効率化につなげられたりといった成果も非常に大切なことです。
個人的な勉強や学習も研究のひとつではありますが、一般的に学術研究では「一般化可能な知見を生み出すこと」・「新しい知識を追加すること」・「再現可能な方法で検証すること」が求められます。
その点で「私の勉強になりました」で終わらせてはいけないともいえます。ただ、自分の知的好奇心を持たす活動も研究の一つのカタチであり、「学会などで発表できる内容にしなければ研究の異議がない」と言ってしまうのは少し乱暴な気もします。学会等での発表は「取り組んだ後にあるもの」と考えておく必要があります。とはいえ、私自身も「ここが締め切りだから、ここまでに研究計画書を作って倫理審査を通して、この学会で発表を」と“目標(締切り)”がないと動き出すのが難しいことも少なくありません。
この矛盾する点が、看護研究の位置づけを難しくさせているように感じます。
本来は、自分が興味を持ったことを掘り下げて調べることが研究であって、必ずしも学術研究でなくてはいけない、と決めてしまうと研究そのものが負担になってしまうのではないでしょうか。
業務改善は研究ではないのか。
「業務改善は看護研究ではない」という言葉を聞くことも多くあります。確かに個々の職場の業務を改善することは研究と言えるほど一般性を持つものではないかもしれませんし、学術的な新しい知見が得られるわけでもないかもしれません。
ただ、研究に取り組もうと思った時に「こういうテーマではどうだろう?」という“研究の動機”として日々の業務に目が行くことはごく自然なことだと思います。「この業務はどうなんだろう?」という疑問や興味を持つことは看護研究の醍醐味でもあります。
ただ、「病棟でこのアセスメントシートを導入したら、転倒が減少した」という事実があったとしても、「どういうシートなのか・既存のものと何が違うのか」「転倒が減少したのはたまたまではないのか」といった点を明確にしないと新規性も再現性もありません。そのため、「業務改善は研究ではない」のではなく、「業務改善を研究として発表するには、一般化可能な問いや知見へ昇華する工夫が必要である」といえるでしょう。そして、現場で研究的な思考を身につけるための活動としての業務改善には、大きな教育的・実践的価値があります。
臨床看護師に求められているのは、多くの場合「世界初の発見」ではありません。
むしろ、「自分たちの課題を明確化する」・「文献を調べる」・「改善策を考える」・「データを取る」・「効果を検証する」・「他者に説明できる形でまとめる」といったプロセスこそ、エビデンスに基づく実践(Evidence Based Practice)といえるのです。
「研究をすること」が目的になってしまわないために
・研究者の自主性を尊重する
「良い看護を行う → その効果を確かめる → 他施設でも参考になる形で共有する」
という流れが本来的な形ですが「やらなくちゃいけない」という圧力が強くなると、自分の興味や関心といった内的な動機が損なわれてしまいがちです。“周囲はあくまでもサポートに努める”ことが大切だと思います。
看護研究が“病棟を背負ってやるもの”という意識が強くなりすぎると、ベテランのスタッフさんや役職にある方が「もっとこうした方が」と過度にアドバイスしてしまうこともあるようです。私自身もこれまでの看護研究支援で「支援者が過度に口を出したことで、本人の研究ではなくなってしまった」と反省したことが何度もありました。研究に取り組む方が一生懸命に推敲した文章を簡単に直してしまわないように、慎重な姿勢で支援することが大切です。
・研究に取り組むことに余計な目的を付与しない
研究の取り組む人を支援する際に重要なことは「余計な目的を付与しない」ということです。
具体的には「研究するからには、発表しなさい」・「研究を通してチームワークやリーダーシップを磨きなさい」・「現場がよりよくなるための研究をしなさい」といった“アドバイス”は、結果としてモチベーションを低下させたり「研究は嫌だな」という気持ちにつながったりしすいので注意が必要です。
「学会などで発表できることを目指そう」
「一人では気づけないことを補い合うためにチームで取り組もう」
「日々の業務にも活かせることが出来たらいいな」
これらはあくまでも「そうだったらいいな」という話であり、他者から押し付けられた途端に負担になってしまいます。研究をサポートされる方には、ご留意頂けたらと思います。
最後に
日本看護科学会によると、「研究とは、特定の疑問に対する答えを導きだしたり、問題を解決したりするために、科学的方法を用いて行う系統的な探究であり、その目的は、学術の発展や実践のための知識体系の構築である。」
そして「看護研究は、看護活動や看護教育、看護管理など、看護の現象に関する疑問に応えたり、問題を解決したり、あるいは看護現象の説明や検証のために、組織的・科学的な方法を用いて行う系統的な探究である。」とされています。
このことから必ずしも「新たな知見を得ること」だけが重要であるわけではない、とお解釈できます。現場の実践研究や業務改善を研究的に検証する活動も、一定の範囲でこの定義に含めて考えることができます。
「研究の取り組むこと」は、研究者や大学の教員にとっても“楽ではないこと”だと思います。新しい知識を得ること、世の中に新しい何かを提供できることには喜びや楽しさがあります。しかし、筋トレと同じく「しんどいから効果がある」ものでもあります。研究に取り組む中で感じるしんどさが、看護師さんの成長や経験につながるものであることを願っています。



