研究におけるAI活用について書こうと思い、考えていることをAIに入力してみました。「こんなことを書きたいんだけどどうかな?」と。
すると、わずかな時間で、整ったコラムの叩き台が返ってきました。
「すごい」と思うと同時に、少し違和感を覚えました。
こんなにも簡単に“自分が書いたような文章”が出来上がってしまうから。
この文章を「叩き台」ではなく「完成品」と思ってしまいそうな錯覚もありました。
この一年ほどでAIは我々の生活に確実に浸透し、こちらが頼んでいなくてもAIが検索結果を表示してくれたり、「こういうことですか?」とアシストしてくれたりするのが普通になった気がします。
「AIの発達でなくなる職業」という話題が少し前にありましたが、「その職業そのものが不要になる」ということではなく、「AIで代替できる仕事に高いお金を払う人はいなくなる」ということなのでしょう。
AIの出力結果を“自分の考え”のように話す人のことをmeat proxy(ミート・プロキシ)という表現をするそうです。代理や代行を意味し、ネットワークにおいて中継する役割を果たす“proxy”に、人間を指すスラングの“meat”と合わせて、AIの出力を読んだり解釈したりせずに、そのまま中継するように送ってくる人を指す造語としてNiklas Gruhnがブログ上で用いたことで広がった言葉だそうです(参照:https://ai-no-mori.jp/glossary/meat-proxy/,https://gruhn.me/blog/2026-08-03/)
AIに分からない言葉を入力すれば、すぐに説明してくれる。
テーマを伝えれば、関連する考え方や研究方法まで提案してくれる。
AIの整った回答を読んでいると、それだけで自分も分かったような気持ちになることがあります。これは非常に便利であるだけに、とても怖いことのように感じます。
「教科書を丸写しするだけの勉強なら、意味がない」
「既存の本を読み上げるだけの教員なら、必要がない」
そう言われているような気がするのです。
もちろん、教科書を写す中で文章を熟読し理解につながることはありますし、その本を書いた先生が講義してくれるなら裏話や割愛した話なども聞ける楽しみがあります。
AIなどのデジタル技術は若い人の方が取り入れることに長けていることもあり、教員が思っている以上に早く状況は変化しているように感じます。大学の講義の内容をまとめたシラバス(syllabus)は授業をする前年度のうちに作成するのが通常ですが、去年の今頃にここまでAIが身近になるという変化は、私には予想できませんでした。
しかし、AIがもっともらしく示した内容が、必ずしも正しいとは限りません。実際には存在しない文献や、不正確な数字を示す「ハルシネーション」もあります。また、紙でしか残されていない資料や、データベースの契約がなければ読めない論文など、AIが十分に参照できない情報もあります。
・AIが論文を作成する
2025年12月に公開された Scientific Reports の研究では、6種類の大規模言語モデル(Large Language Model:LLM) に、既存の研究論文の「文献検索・選定」・「データ抽出・分析」・「論文全文の作成」を行わせるシステマティック・レビューを行わせ、人間が作成した既存のレビュー論文と比較しています。その結果、人間が採用した18論文のうち、最も成績のよいAIでも見つけられたのは13論文であり、データ抽出の誤りや欠落、文章は整っていても内容が短く表面的だったことなどが示されているものの、文献検索や草稿作成は人間より大幅に速く、“監督下の補助には有用”とされています。
(Sollini et al. “Human researchers are superior to large language models in writing a medical systematic review”)
一方、100%AI生成の論文が一定の査読水準を超えた事例として、Sakana AIが2025年3月に発表した「AI Scientist-v2」のニュースがあります。AIが仮説設定、実験計画、プログラム作成、実験、分析、図表作成、引用、論文執筆までを自動で行い、生成された3論文を、ICLR 2025という機械学習系国際会議のワークショップの査読に提出したところ、1論文が採択水準を超えました。
(これには重要なポイントがあり、採択率が比較的高い“ワークショップ”での採択であって論文として完成したわけではないこと、3論文の全てが水準を超えたわけではないこと、事前の合意により、実際に出版される前に撤回されたことなどがあります)
*Sakana AI公式「世界初、100%AI生成の論文が査読通過」,https://sakana.ai/ai-scientist-first-publication-jp/
sakana AIの記事の中にもありますが、「透明性と倫理的行動規範の重要性」という観点は非常に重要です。事前に合意を得たうえで“実験として実施する”のと、黙って実施するのでは意味が異なるからです。
AIは、研究論文を書く側だけでなく、評価する側にも入り始めています。
国際学会に提出された査読文のうち「commendable(称賛に値する):9.8倍」「meticulous(綿密な):34.7倍」「intricate(複雑で精巧な):11.2倍」の形容詞の出現頻度が高かったことが示されました。
(Weixin Liang et.al:Monitoring AI-Modified Content at Scale:A Case Study on the Impact of ChatGPT on AI Conference Peer Reviews,https://arxiv.org/pdf/2403.07183)
しかも、その利用は必ずしも明示されていないこともあります。AIが書き、AIが査読するようになれば、整った文章同士が行き交う一方で、その内容を本当に理解し、妥当性に責任を持つ人間が見えにくくなり、「自分で努力したけど、ミスがある」場合ばかりに目立ってしまうことも起こります。AIが書いた論文をAIが査読し、その両方を人間が見抜けなかったとして、それを“研究が評価された”と呼べるのか、難しい問題です。
AIが研究を査読することも研究の世界では既に起こっています。
「査読文の中に、生成AIによって書かれた/大幅に修正された文章がどのくらい含まれているか」を調べた研究では、査読全体のコメントから「LLMによる実質的な改変・生成が含まれる割合」を統計的に推定し、査読として提出された文章のうち、6.5〜16.9%程度が、単なるスペルチェックや軽微な文章修正を超え”LLMによって大幅に修正または生成された可能性がある”と推定されています。これは単に「英語を整えるためにAIを使った」というだけでなく、時間がない、判断に自信がない、といった状況でLLMに依存している可能性が示唆されています。このデータ分析に用いたLLMは2023年・2024年のモデルであり、現在は更に加速度的に技術が進歩していることも考える必要があると思います。
またAIに研究の査読をさせることには、AIの正確性とは別に守秘義務が問題になります。未公表の投稿論文を一般向け生成AIへ入力すると、著者の知的財産や個人情報、未公表データを第三者サービスに渡すことになりかねません。こういった点も研究をAIに使う際に考える点だと思います。
AIが提供してくれる情報の中にも“知らない知識”や“考えていなかった観点”などもあります。ただ、それは「研究」なのでしょうか。AIが示した文献を、実際に存在するか確認しないまま引用する。研究結果の解釈や考察を、そのままAIに書かせる。こうした使い方には、当然ながら問題があります。一方で、危険性があるからという理由だけで、研究や看護教育からAIを遠ざけることが望ましいとも思いません。
例えば、論文を読んでいて分からない統計用語が出てきたとき、その意味を自分の理解度に合わせて説明してもらう。英語論文の読みにくい箇所を翻訳してもらい、原文と照らし合わせる。研究テーマに関係する検索語を一緒に考え、文献検索の手がかりを得る。このような場面では、AIは学びを支える有力な道具になります。
大切なのは、AIから「答えをもらう」ことではなく、AIとの対話を通して、自分が何を知らないのかに気づくことではないでしょうか。
AIの回答を出発点として、原著論文を読む。公的機関の資料を確認する。自分の研究対象や臨床経験と照らし合わせて考える。そうすることで、AIの活用が、自分自身の知識を深めることにつながります。
研究において問われるのは、AIを使ったかどうかだけではありません。何をAIに委ね、何を自分で確かめ、どのように判断したのかが重要です。
看護教育もまた、大きな転換点にあります。AIの使用を一律に禁じるのでも、出力を無批判に受け入れるのでもなく、より良い使い方を学習者とともに考えていく。そのこと自体が、これからの看護教育に求められる課題なのだと思います。



